人は必ず死にます。
誰1人例外なく。
もちろんあなたも。
人の死について考えることは、知人が死んだときぐらいしかないもの。
でも暇つぶしに考えてみてはいかがでしょうか。
4つに分けてみます。
「考えたくない」と拒否反応を示す人が結構います。
理由は怖いからですね。
気持ちが落ち込むということもあるでしょう。
確かに自分の死を考えてウキウキ、ワクワクする人はいませんね。
でも避けていたからと言って良いことが起こるかといえば、むしろ逆ではないかと思います。
自分の死を「悲惨な死」として考えてしまう人がいます。
原因はよっぽど悲観的なのか、相当に悪いことをした意識があるからでしょう。
日本人は往々にして謙虚で悲観的です。
それがリスク回避や自己成長につながるのでしたら良いのですが、ただ暗く生きることになっては
もったいないこと。
悲観的なのは、健康にも大きな悪影響を及ぼします
相当悪いことをした意識がある人も、やはり基本的に悲観的である可能性が高いです。
悪いことをしたら地獄に落ちるなどという考え方は、犯罪の抑止力にはなるでしょうが、本当はどうなんでしょう?
程度にもよるでしょうし、反省しているかとか、他にどれだけ良いことをやっているかとか、色々な要素がからむかもしれません。
キリスト教ではどんな極悪人でも「懺悔」といわれる反省をすれば救われるという教えですよね。
「悲惨な死」を考える人の多くは、「死を考えたくない」
ということにつながります。
ぜひ「最高の死」を思い浮かべたいものですよね。
「最高の死」とはそれぞれ違うことでしょう。
病院のベッドの上で静かに息を引き取る、
大好きなことをやっているときに死ぬ、
自宅で老衰で死ぬ、
などなどですね。
これであれば死を考えるのも抵抗がないのではないでしょうか。
むしろ楽しくなるかもしれません。
大事なのはそうなるためにはこれからどうすれば良いかですよね。
この質問に関して何か1つだけを挙げて済むものではないと思います。
ただ、筆者の個人的考えでいえば、良い死を迎えるためには、家族の存在が重要ということ。
自分の死を惜しんでくれる家族がいることは、「最高の死」を迎えるためには必要不可欠なんだと思います。
多くの人は「そこそこの死」を考えることでしょう。
それこそ今まで身内や知人が死んでいったその状態を思い浮かべる人が多いかもしれません。
普段生きていて、そんなに多くの死を目の前で見るわけではありませんよね。
だから自然と自分が見てきた体験で考えるようになります。
少々苦しむとか、
逆に心筋梗塞や脳卒中などで、一気に逝くとか、
死に方は穏やかだけど1人だけで死んでいくとか、
でももちろん「そこそこ」より「最高」が良いですよね!!