あなたは、
自分がなぜ生きているのか、
生きる意味は何なのか、
人生の意義と何なのか
について考えたことがありますか?
大抵誰でも一度や二度は考えたことがあるのではないでしょうか。
生きる意味について、4つに分けて考えてみます。
「しょうがないから生きる」
もしかすると宗教観の薄い日本人にはこれが普通の考えなのかもしれません。
特に何らかの責任を感じる必要がないという意味では楽かもしれません。
「人生は壮大なる暇つぶし」という言葉がありますが、それに通じています。
ただ、逆にすべてが場当たり的になり、日々を良いものにするのは難しいかもしれませんね。
「修行のため」
仏教的な考えがこれです。
現世はあくまで修行のためのもので、その修行の結果によって、あの世での生活が変わるというもの。
だからこの考えが徹底されると出家するなどして、人生をかけて修行をするということになります。
この考え方は自分が辛いときの慰めになります。
修行だから辛いのは当然だし、むしろ辛ければ辛いほど、あの世では良い思いができると考えることができます。
少しは救いになるでしょう。
しかし、この世が仮のものという考えが行き過ぎてしまうと、早まって自殺につながってしまう可能性があります。
また、辛いことの肯定は短期的にはできても、長期で認めるは本当に暗い人生にならざるをえなくなります。
「人のために生きる」
崇高な考え方です。
周りの人のため、社会のために生きるということは、生きるうえでの原動力になります。
一つの理想的な考え方といえるかもしれません。
ただし、それを認めて、実践するのはなかなかできるものではありませんよね。
何らかの宗教的な考えが必要になるかもしれません。
「幸福になるために生きる」
筆者はこの考え方をお勧めします。
理由は楽だからです。
そして誰にも迷惑をかけないし、それどころか、周りに広げることも可能だからです。
もちろんこの考え方が極端に自分本位なものになってしまうと、反社会的なことになりますが、社会と共存できるのであれば良いことだらけということになります。
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知的幸福